
 ランチアという選択

ランチア・テージス
LANCIA THESIS

ランチア・イプシロン
LANCIA YPSILON
 長きにわたって紡がれてきた精神世界。

右ハンドル仕様を一切作らないランチアは、だから右ハンドル圏の国には正規輸出されていない。
それゆえ日本におけるランチアは、究極的にニッチなクルマとして認識されているが、しかしランチアをランチアたらしめるのは、数々の伝説を有する、紆余曲折の歴史そのものなのである。

リポート|渡辺敏史|T.Watanabe フォト|郡 大二郎|D.Kori

 | 「ランチア」であることがすべて

本来ならランチアなど、軽々しく誌面で語る材料にすべきではない。ともすれば性能や装備に話題が集中し、その挙げ句に買い得だとか割高だとか表面的な論議に終始する風潮の中では、それほどの存在感を持ち得ないからだ。そのような尺度からしかクルマを評価できない人々にとっては、ほとんど無価値に等しいともいえる。
ランチアの価値は、今この目の前にある物体そのものにではなく、99年もの長きにわたって営々と紡がれてきた精神世界にこそある。それは物語であり、「知」でもある。ひとりイタリアのみならずヨーロッパ、いや世界すべてを見渡しても、これほど濃密に「知性」をまとったブランドはない。つまりランチアは「ランチアであること」がすべてなのだ。
高い理想を掲げた少壮メーカーの多くがそうであったように、ランチアの歴史もまた苦難の連続だった。その挙げ句、'69年には一株当たり1リラ(当時の邦貨で58銭)でフィアットに譲渡して傘下に入り、完全独自設計のエンジンも'76年で生産を終えた。その後はフィアットの主要部品を活用し、部分的にはフェラーリやアルファからエンジンを導入したりもした。一時は、経営そのものもアルファ・ランチアとして統合が図られた。
しかし、それでもクルマ全体として眺めると、あくまでランチアはランチアでしかない。背後にたゆたう精神的な支柱が、実際の物より強い証拠だ。
その根源は、創始者ヴィンチェンツォ・ランチアが唱えた「自由に考え、自由に造る」の精神にある。クルマ作りの知識も情報も地球規模で平準化した今なお、この言葉が鮮やかなのは、ヴィンチェンツォ自身かつて天才数学少年であり、数学を突き詰めれば哲学に行き着くからではあるまいか。
そんな精神から、かつてランチアがランチアそのものであった時代には、既成概念を打ち破る機構が次々と盛り込まれていた。中でも広く知られているのは、一個のブロックにジグザグにシリンダーを配置した超狭角V型エンジンで、これは今ではVWアウディ・グループの核を成す手法にもなっている。もちろんヴィンチェンツォは風変わりであることを目的にこんなエンジンを考えたのではなく、まだパッケージングなどという単語が一般化するよりはるか以前から、クルマ全体の中に占めるべきエンジンの存在と役割を正しく理解した当然の帰結として、面倒な設計に挑んだにすぎない。
初めて完全なモノコック構造を採用したラムダも、'20年代初期の常識からすればあまりにも唯物主義的で簡潔な箱にすぎなかったが、ランチアであるがゆえに説得力に富んだばかりか美しくさえあった。その後もトランスアクスルやインボードブレーキなど、理想のみを追って採用されたメカニズムは枚挙に暇がない。 |
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LANCIA THESIS 3.2
少数派の誇りに満ちた大人のためのプレステージ |

アルファ166をベースに仕立てられたアッパーミドル・サルーン。アルファのGTA系にも採用される3.2リッターV6を搭載する。こちらは230ps/29.4kg-mを発生するデチューン版となるが、低中速のトルクを太らせた上品な味わいが魅力。ハンドリング、サスペンションはゆったりと躾られており、すべての振る舞いが大人っぽい。唯我独尊のエクステリアも孤高のカリスマ、ランチアの証だ。扱いはガレージ伊太利屋。7,224,000円。 
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