編集部から依頼された原稿は「クルマの評価をする仕事上、ベンチマークになったモデルを選び、それについて語る」というもの。そこで、改めてそういうクルマが自分にはあるのかを考えてみた。だが、結果的に一台たりとも思い浮かばなかった。理由をいろいろと考えてみたのだが、それは偏に、私のクルマに対する評価方法がベンチマークという存在を求めないからなのかもしれない。
 私の場合、クルマを評価する際には、いつも自分自身の評価基準をもって絶対評価している。もちろん、企画によっては比較テストをするようなケースも多々あるが、そんな場合でも基本となるのは絶対評価であり、比較しての評価も、その範疇でしかない。
 具体的には、評価するにあたってはクルマ対クルマの評価やクルマそのものではなく、技術的な特徴などのスペックに対するフィーリングを軸に評価している。その意味では、自分は総論よりも各論の方が好きなのだろうし、そうすることでしか、上手にクルマの特徴を説明できないのだとも思う。
 そもそも、この「ベンチマーク」という発想自体が、メーカーの開発担当者的なものの見方だ。たとえば、量産車として優れたAというクルマがあるとする。それを見た他社のエンジニアは、自分の部署の到達目標を、そのAに置く……という具合だ。具体的に求める性能や基準が必要なクルマの開発現場では、それは有効かもしれない。しかし、クルマを評価する際には、そんな目標物を定めること自体にあまり意味がない。
 もちろん、一般的にベンチマークとされる、もしくはそう評価されるクルマが存在すること自体を否定するつもりはない。実際、評価項目ごとに見ていけば秀でたクルマは多く存在する。だが、それらのクルマが、すべての面において他よりも優れてるということはまずあり得ないと思う。
 仮に、あらゆる項目において最高の評価を与えられる、といわれたクルマがあるとしよう。それが「ベンチマークです」といわれれば、なるほどそうなのかも知れない。しかし、そういったクルマはよくよく見れば、例えば「価格の割にはよくできている」とか「世界に一台しかない高価なクルマ」だったりすることも少なくない。
 そうしたケースでは、当然のように見方や視点を変えれば評価は一変することになる。つまり、ベンチマークといわれるクルマの多くは、その時点で誰かしらの判断基準が入り込んでいるものなのだ。結局のところ、クルマの評価は判断する人間によって大きく異なる。その評価の際に重要視されるのはクルマそのものではなく、判断する人間の経験だとか立場であって、そうした他人の視点で判断した価値を持つモデルをベンチマークとしてクルマを評価することなど、考えられない。
 それに自分自身が判断して、あらゆる項目が平均的に優れているクルマがあったとしても、それが私のなかでベンチマークになるということもない。というのも、そのクルマを人に勧めることはあっても、自分自身では選ばないかも知れないからだ。平均点が高くなくても光る部分があって、そこに魅力を感じるクルマがある場合、個人的にはそちらを選んでしまう可能性が高い。自分の判断と評価が一致しないクルマは、やはりベンチマークとはいえないだろう。



■広告■

Copyright (C) GAKKEN CO., LTD. All Rights Reserved.