1962年の東京ショーでプロトタイプがデビュー、翌'63年にS500が発売開始されたホンダ・スポーツの国内向け最終モデル、S800M。それが大学を出て某自動車専門誌編集部に就職した年、'71年の暮れに私が初めて自分で買ったクルマだった。
 最初のは'68年型だったが、1年もしないうちにもっと程度のいい'69年型を発見し、それに乗り替えた。Sシリーズは'70年に生産中止されていたので、それらはいずれも中古車だったが、当時20代半ばだった私は、この2台目の'69年型S800Mを普段の足に使うと同時に、ダンロップG5というクロスプライの細いレーシングタイヤを履いてサーキットにも出撃、ジムカーナやヒストリックカーレースでは、いくつかの勝利を手にしたりもしていた。
 つまり、モータージャーナリズムの世界に足を突っ込み始めた頃、私は毎日のようにホンダS800に乗っていたわけで、そうなると自然に身体に染みついたその感覚が、スポーツカーを評価する際のベンチマークになっていった。
ちなみにセダンでは、タテ目あるいはW123といったコンパクト・メルセデスが、'70年代の私のベンチマークだったといえる。
 だから、たとえば'73年にポルシェ911カレラRSとディーノ246GTを相前後してテストした際、当時の私が前者よりもむしろ後者に強く惹かれたのは、ディーノのエンジンの回転感や身のこなしの方が、S800に通じるものが多かったからだ。
 ホンダS800の特徴をひとことで表現すれば、その開発を陣頭指揮した本田宗一郎御大が意図したとおりの、「小さいのに速いクルマ」という言葉に尽きる。791ccのDOHC4気筒は8000rpm以上まで軽く回って70psを絞り出し、車重700kg台の小柄なオープン2座ボディを160km/hまで引っ張ったのである。
 しかも、S800が得意としたのは直線のスピードだけではなかった。標準のままではやや腰高で大きなロールを許す脚を、フロントのトーションバーの取りつけ角度を変えるなどして適度に車高を下げ、ダンパーを社外品のコニに替えてやると、身のこなしは目に見えて機敏になり、すこぶるアンダーステアの軽い意のままのコーナリングが可能になるのだった。
 それに加えて最後期のS800Mには、前輪にディスクブレーキが標準装備されていた。それはノンサーボのため強い踏力を要する一方、コーナー進入時にはドライバーが狙ったとおりにスピードを殺してくれるのが心強かった。
 つまりS800は、箱根のようなタイトなワインディングや筑波のごとき小さなサーキットに躍り出ると、倍以上の排気量のクルマをコーナーでカモれる「ジャイアントキラー」になるのだった。
 だが'80年代に入った頃に、私の感覚に変化が生じた。速いペースを保ったまま、ドライバーを不当に疲れさせずに長距離をカッ飛んでいけるグラントゥリズモ的キャラクターと、それでいて低速でも官能的な走りに魅力を見い出して、急速に911に魅せられていったのである。あらためて考えてみると、ホンダS800はむしろスプリンターで、GT的走りはあまり得意としていなかった。
 じゃあ今はどうか? 現代のライトウェイトなスポーツカーが対象ならロータス・エリーゼが、中量級以上のスポーツGTが対象ならポルシェ911の最新モデルが、私のベンチマークだといえる。



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