本格スポーツカー、という点では共通項が見出せるポルシェとTVR。
だが、実際のクルマ作りは対照的だ。 ある種、社会性にも配慮する前者と、「剥き身」のスポーツ性を身上とする後者。 単なる善し悪しでは、決着などつきそうにないが……。
リポート|熊倉重春|S.Kumakura フォト|松本高好|T.Matsumoto |
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TVRは「新撰組」である。始祖トレヴァー・ウィルキンソンの時代には、ローラ、エルヴァ、ロータスなどと並んで時流に乗っていたが、今やふと気付いてみると、骨の髄から流れに棹さす「傳統英國風味原理主義者」になってしまっている。だとすれば中興の祖とされるピーター・ウィラー現社長は、さしずめ近藤勇か土方歳三ということになるだろうか。 そんな目で眺めると、今ここにあるタスカンも、限りなくグローバライゼーションが進行する世にあって、ことごとく愚直なまでに逆らっているようではないか。 深海魚のごとき姿形のタスカンだが、ことさら破調を打ち出したように見えるのは、おどろおどろしくパンチ孔を穿ったグリル部分だけで、その他はどの角度からもクラシックな文法通りなのがわかる。豊かに流れるフロントフェンダーと長いボンネットの高さの釣り合いといい、後輪の寸前に低くかまえるドライビングポジションといい、実は'50年代から'60年代にかけて磨き抜かれたスポーツカーの定石だ。斜め後ろからは、かつてクラブレースを席巻したライトウェイトEタイプの面影も読み取れる。極論すれば、一人のスポーツカー狂が自分だけの世界を構築するために、好き勝手を貫き通した結果がこれだ。 「スポーツカーってのはなぁ、こういうのをいうんだぜ」 という決めつけは、走る前からひしひし迫る。まず独特の儀式がある。キーホルダーのリモコン・ドアロック用のボタンを数秒間押し、インタンクの燃料ポンプを起動させないとエンジンもかからない。こういう不自由さも、クルマとの真摯な関わりをフールプルーフな現代技術の中に求めた結果だ。スポーツカーに限らず、昔はまずチョークを引いて、エンジンの機嫌を探りながらスターターを回すのが当たり前だったからだ。 走るにしても、すでに高性能車の標準となったトラクションコントロールもABSも備わっていないから、素の味わいをダイレクトに満喫できる。それには「腕前さえあれば」の但し書きも付く。下手クソでは絶対乗りこなせない。きちんと修行を積んだドライバーにだけ、初めてTVRは心を開く。 それは振り回しのテクニックのみならず、きわめて硬質な(ある意味では粗暴な)回転感を身上とする自社開発ストレート6の息吹とレスポンスの読み取りであり、やや重いシフトレバーを丁寧に送り込む掌の感覚であり、瞬時に四輪それぞれの接地状態を感じ取る感覚であり、さらにはドアの開け閉ての気遣いであり、それが全部できているかいないか、TVRは鋭く見抜くのだ。つまり、TVRに乗るというのは愛馬や愛犬と付き合うのと同じで、これは英国社会一般の道具や家具に対する接し方の延長線上にある。 だから、たまにネジの一本ぐらい緩んだからといっても、締め直せばすむだけの話だ。そういう手間隙も英国式スポーツカー生活には欠かせない一部なのだ。もっとも実際には、TVR各モデルとも鋼管フレームと樹脂ボディの結合剛性は高いし、サスペンションにも必要をはるかに上回る余裕があるので、昔ほど自虐的メンテナンス生活は求められないが。 いずれにしても「こんな世の中」だからこそ、かえってTVRが新鮮に映るのも事実。そこに波長が合わなければ、ほとんどすべてがブラックボックス化され、いつでも誰でも安心して速く走れ、ショッピングにさえ使えてしまう万能スポーツカーの代表であるポルシェにでも乗るしかあるまい。
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|  実用的なツールにもなる万能スポーツカー
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| 乗り手を選ばない扱いやすさと安全性、そしてスポーツカーとして申し分ないパフォーマンスを兼ね備える文字通りの万能選手がポルシェ。実用性の高さも美点のひとつで、このボクスターSの場合、ツールとして問題があるとすれば2人しか乗れないこと位(!?)。デビュー当初は細部の仕上げに対する不満の声も聞かれたが、いまやカップホルダーまで備わるインテリアはプレミアム・ブランドに相応しいフィニッシュレベルを確保している。なおかつ、単に高性能なだけではなく(演出も含め)スポーツカーらしいテイストも十二分で、それはMTだけでなくAT仕様(ティプトロニックS)でも大きくは変わらない。通常、ほとんどお目にかかる機会がないエンジンなど、クルマ好き的見地からすれば情緒不足な点も散見されるが、完成度の高さでは他の追随を許さない。
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