歩いている歩道の脇に、ヴァンキッシュが駐車している。運よくジェームズ・ボンドがクルマに戻り、エンジンをかけようとする。仮に万一、あなたがそんな現実に出くわしたとしたら、しばらくそこに立ち止まって、耳をすましているべきだ。ほどなく、この世のものとは思えないエンジン音が聴けるはずだから。
 V12ヴァンキッシュは、最新のボンドカーにして、アストン・マーティンの旗艦である。寡作で知られる同社が、このクルマを発表したのは2001年の春。エリーゼのモノコックを大きくしたような、アルミ押し出し材によるプラットフォームをもち、そのほか骨格の見えないところには、カーボンや複合材を駆使している。
 どこから見ても、惚れぼれするアルミボディのフロントに搭載するのは、アストン史上最強の460psにチューンされた6リッターV型12気筒。フォードの資本力をバックに、いかにも金に糸目をつけず開発された感のある、無差別級のスーパースポーツである。
 ヴァンキッシュの豪勢なエンジンを起こすには、いまどき“儀式”が必要だ。
 まず、普通の位置にあるイグニション・スイッチのキーホールに、鍵を差し込み、それをひねって、電源を入れる。
 5〜6秒経つと、チェックを終えたコンピュータが計器盤内のインジケーターに“1”の数字を灯す。ギアが駐車モードの1速に入っているというサインだ。
 フットブレーキを踏んで、ステアリングホイール裏側に生える一対のシフトパドルを左右同時に手前へ引く。1の数字が、ニュートラルの“N”に変わる。
 それを確認したら、ダッシュボード全幅のど真ん中にある真紅のスタートボタンに左手を延ばし、押す。
 ここまで、どんなにスピーディにやっても、10秒はかかる。このままで昔のル・マン式スタートのレースにはエントリーしないほうがいい。
 だが、そのあとに届くエンジンの始動音を聴けば、儀式の手間など、手間ではない。バイ・ワイヤーのスロットル系は、ドライバーの右足に関係なく、火の入ったエンジンをいきなり2000rpmまでブリッピングさせる。その際の「フォーン」という澄みきったテノールの快音といったらない。現行生産車きっての美声の持ち主と認定したい。


“Vanquish”とは、「克服する」とか「征服する」という意味だそうだ。でも、映画を観ていても、音楽を聴いていても、いまだかつて見聞きしたことがない言葉である。おそらくはイギリス英語的な、しかも雅語のような言い回しなのだろう。
 だが、走り出すと、ヴァンキッシュはまさにこの路上を征服したような気にさせるクルマである。
 軽量素材を多用したわりにボディは重く、車重は1835kgある。とはいえ、パワー・ウェイト・レシオの分母は460psもあるから、速いのは言わずもがなだ。
 ギアボックスは、以前からフェラーリが採用しているマニエッティ・マレリのシステムである。6段ギアボックスを油圧電磁コントロールでクラッチペダルレスにした、パドル式マニュマチックだ。
 フェラーリでは、ATレバーが退化したようなリバース専用のスイッチが残るが、ヴァンキッシュはそれもボタン操作に変えている。バックギアに入れるときは、ダッシュボードのプッシュボタンを押す。ひと手間かかって面倒くさいのだが、未来的な感じはする。
 ASM(オート・シフト・モード)を選べば、不満のない自動変速運転をやってのけるが、そんなのは宝の持ち腐れだ。より速く、気持ちのいいシフティングを楽しみたければ、アルミプレートにレザーを貼ったシフトパドルをクリックするに限る。
 高速道路の100km/h巡航だと、6リッターV12はたったの1650rpmで回っているに過ぎない。マニュアル・モードでも、高回転をきわめれば自動的にシフトアップするが、右足によるキックダウンはきかない。それでも、最大55.3kg-mの猛トルクを利して、6速トップのまま底力あふれる追い越し加速を披露する。
 だが、それも宝の持ち腐れだ。ステアリング左側のパドルを指先でクリックすると、そのたびに、数百回転ずつ、タコメーターの針が跳ね上がる。と同時に、例のシビレるような快音がコクピットに侵入する。100km/hからだと、減速用のシフトパドルは4回のクリックを受けつけて、なんと2速まで落とせる。それだってまだ4700rpmに過ぎず、7000rpmのシフトアップポイントまで十分なマージンを残す。そこからの加速の強烈さは、インモラルである。
 日本の箱庭的な峠道では、もっぱら1速ギアが活躍する。なにしろ、96km/hまでカバーしてくれるローギアなのだから。
 とはいっても、ヴァンキッシュはけっして獰猛なモンスターではない。それどころか、おとなしく走っている限りは、むしろエレガントなGTである。
 シフトダウンのたびに心を震わすV12サウンドも、あくまで吹け上がりのときだけであって、回転が落ち着けば、掌を返したようにトーンダウンする。エンジンをかけた途端、ドライバーを挑発して止まないフェラーリ575Mマラネロとは、そこが決定的に違う。あくまで、ふだんは金持ち喧嘩せずという振る舞いをみせるのが、このクルマである。
「持ってるものは、ぜんぶ出す」というのがイタリア流なら、ジキルとハイドの如きヴァンキッシュの二面性は、英国流の奥ゆかしさかもしれない。
 
 エンジンは6リッターV12ユニットにステージ2と呼ばれるチューニングが施され、現在のGPマシン同様の技術を採用したパドル式6速セミオートマチックと組み合わされる。アストン・マーティンらしい演出として最終検査を施した「STUART BULL」の名も刻まれる。
 オプション設定となる、ツートーンレザーのインテリア。通常は純粋な2シーターだが、リアシートのある2+2にも変更可能。
 センターコンソール及び操作系にはアルミを多用。もちろんボディカラーに合わせるなど、好みのカラーコーディネイトも可能。
 19インチの軽量鍛造アルミにヨコハマAVSスポーツが純正装着。


アストン・マーティンらしさを継承しつつも、抑揚に富むボンネットのラインや迫力あるフェンダーラインがアグレッシブな印象。


 
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