『キッチン・ストーリー』
'03.NORWAY/SWEDEN

ノルウェーの田舎に住む孤独な老人と、スウェーデンの「家庭研究所」からきた調査員の交流を素朴なタッチで描くハートフルな傑作。各国の映画祭で絶賛され、日本では公開されてから観客の口コミで評判が広がり大ヒットを記録した。現在は本編に加えて特典映像等を収録したDVDソフトが発売中で、価格は4,179円。●発売元=SPOディストリビューション
最近でこそ走りのイメージも積極的にアピールしているが、ボルボといえば元々頑丈さや安全性に代表される実直さがウリのブランド。今回、紹介するモデルは、現在に至るそうした姿勢のルーツとも言うべき存在だ。
そのある種アメリカ車的佇まいと堅実な作りは、創業者の哲学を反映させた結果なのだが、まさにそれゆえに心温まる北欧映画の作中でも絶妙な雰囲気を醸している。

写真=松本高好|T.Matsumoto 文=熊倉重春|S.Kumakura
車両オーナー=安斎節也氏 取材協力=エス・ツー・アンザイ



 あなたが独り暮らしの老人だったとして、ある日いきなり見ず知らずの人物が乗り込んできて、一挙手一投足まで観察され記録されることになったら、どんな気分だろう。
  戦後すぐのスウェーデン(実際には第二次大戦で中立を保ったので、戦前も戦後もないが)では、実際にそういう事態があったという。公的な研究機関が国民生活のあらゆる側面を綿密に調査し、医療や福祉のみならず、住宅建築から家具の設計にまでデータを活用したのだとか。たしかに北欧の家具やシステムキッチンは造形が簡潔で美しいだけでなく、とても機能的なことで知られてはいる。
  北欧現代映像界を代表するベント・ハーメル監督の『キッチン・ストーリー』は、そんな時代から題材を取った一作。独り暮らしの台所での、老人の動線を記録する任務を帯びた調査員が、ノルウェーの寒村を訪れるという設定だ。二人は互いに住人と観察者であり、人間としてコミュニケーションを取ってはならない決まりなのだが、ふとしたことから――と、これ以上は紹介すべきではないだろう。'03 年に公開されたばかりの新作であり、これから観る人も多いはずだからだ。特に、この作品の根底に流れる空気がスローライフと分かち難く結びついているとすれば、それなりにメッセージを読み取るべく鑑賞し直す値打ちはある。

  そんな『キッチン・ストーリー』の中で、厳しい寒気に覆われたスカンジナビアの道を、はるばるスウェーデンからノルウェーまで走ってくる調査員のクルマが名作PV444だ。
  PV444は、1927年に操業を開始したボルボにとって、大きな転換点となるクルマだった。それまで手がけたのは比較的大きなセダンばかりだったが、戦争によって既成のヨーロッパ秩序が崩壊しそうだと読んだ経営陣は、もっと広く一般に普及させられる乗用車を開発することにした。冒頭に紹介した通り、中立国のスウェーデンは国土が戦火に見舞われなかったため、新型乗用車の計画は'43 年にスタートし、最初の試作車が公開されたのも、ナチス・ドイツの降伏から間もない'44 年秋のことだった。PVのコードネームはごく初期から使われていたもので、PVはスウェーデン語でペルソン・ワグン(乗用車)の頭文字、444は4気筒・40ps・4人乗りであることを意味していたという。
  ターゲット・ユーザーはごく普通の中年夫婦と子供たちというファミリーで、そのため思い切って2ドア(ボルボ乗用車では初めて)とし、サイズも全長4.5m級と、個人用として適度な範囲に抑えられた。技術面ではこれも初体験のモノコック構造(現在のようなタイプではなく、フレームに当たる縦部材がフロアと一体になっているので、当時はユニタリー・コンストラクションと呼ばれていた)を採用し、エンジンがプッシュロッドOHVであったほかは、ダブルウイッシュボーンのフロントサスペンション、半楕円リーフで吊ったリジッド・リアアクスル(もちろん普通のFR)など、使い慣れた方式がそっくり採用されていた。
  これは共同創業者、アッサー・ガブリエルソンとグスタフ・ラーソンの哲学そのものでもあった。変化のための変化をもとめず、地味であろうと何より耐久性と信頼性を重視する方針は、そのまま今に至るまで、ボルボのブランドイメージとして受け継がれている。
  それにしてもPV444のデザインは、ほぼ同世代のアメリカ車に酷似している。そればかりか創立以来ほとんどのボルボは非常にアメリカ車的だった。それも当然といえば当然で、創業当時スカウトされた技術者の中には、学生時代にアメリカに渡り、そのまま現地の自動車メーカーで働いた経験を持つ者が多かったので、自然にその方法論も流れ込んでいたのだ。創業者たちが高名なベアリング・メーカーSKFの出身だったことからもわかる通り、古くからスウェーデンは良質な工業国だったが、まだ白紙からクルマを作れる土壌はなかったので、経験者が海外から呼び戻されたのだった。作りやすく頑丈で長持ちするアメリカ式は、創業者の価値観にもぴったりだった。
  そんな背景から生まれたPV444が「小さなアメリカ車」だったにしても、実はヨーロッパには、それに似た例は少なくない。たとえば強烈な個性で知られるシトロエンも、戦前末期に名作トラクシオン・アヴァンを打ち出すまでは、アメリカ車そっくりのロザリーなどが主力だったし、戦後もアウトウニオン1000SPは初代サンダーバードそのままだったし、ヒルマン・インプやNSUプリンツ、ピニンファリーナ作のフィアット1100/1300/1500はシボレー・コルベアに強く影響され、その波はBMW2000CSにまで及んでいた。
  1947年、ヨーロッパ各地で復興の土音が高らかに鳴り響くころ正式に発売されたPV444は、邦貨換算で約50万円と同時にしてはけっこうな値段だったが、アメリカンな姿形(当時は日本でもヨーロッパでも、『アメリカ』は光り輝くキーワードだった)と意外な駿足ぶり、それに卓越した頑丈さを武器に、めきめき実績を伸ばしていった。欧州各地に進駐した米兵が買って帰ったのがきっかけで、早くから対米輸出も始まった。そして、そのまま'57 年まで10年間、ほとんど変わらないまま累計19万6000台も売れたことからも、その好評ぶりがわかるだろう。これは当時の中級車としては望外の数字で、スウェーデンの消費者人口を考えれば、いかに輸出比率が高く外貨を稼いだかがわかる。
  ちなみにこのPV444全盛時代、スウェーデンの道路交通は史上めったにない大変革を経験していた。'50 年代のごく初期、それまで左ハンドルの左側通行だったのが、隣接各国との整合性のため右側通行に切り換えられたのだ。人口密度がきわめて低い社会だからこそできた手術である。。


PV444時代のエンジンは、仕様を変更しつつも'57年9月に登場する最終型(PV444 L/LS。後のアマゾンにも搭載されることになる60psの1.6リッターエンジン、B16を採用した)までずっと1.4リッターのOHVだった。当初のパワーは車名が示す通り40psに過ぎなかったが、'50年9月に実施された最初のマイナーチェンジ以降は徐々に強化(このときのPV444B型で44psに)。取材車は'55年9月に登場したPV444K/KSで、パワーは51ps。



当初16インチだったPV444のホイールは、最初のマイナーチェンジでなぜか15インチとされ、'51年に実施された2度目のマイナーチェンジで再び16インチへと戻されている。足回りはフロントにダブルウイッシュボーン、リアが半楕円リーフのリジッドという構成。



'47年に発売されたPV444は、'58年8月に後継のPV544が登場するまでトータルで196,004台が生産されている。その内訳だが、最初期にあたるA型とAS型がそれぞれ11,804台と700台。'50年9月に登場したB/BSは4,500/3,000台。'51年6月に登場、トレッドを38mm拡大したPV444CおよびCSは3,500台と4,500台。'52年8月には腕木式方向指示器をウィンカーとしたDとDSに移行、それぞれ3,500台と5,500台を製造する。以下'53年4月以降のEとESは14,350台と17,599台、'54年12月登場のHとHSが合計29,046台、'55年12月デビューのKおよびKSは33,918台、そして最終の'57年9月登場のLとLSが64,087台となる。
 
Copyright (C) GAKKEN CO., LTD. All Rights Reserved.