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カーライフのなにをもって幸せとするか?
永遠の命題を、奇才・渡辺敏史がユル〜く語りまくる新説自動車幸福論。
今月は、待望のオープン化で全国のミニフリークを
メロメロにさせている、ミニ・コンバーチブルを。
文|渡辺敏史|T.Watanabe 写真|宮門秀行|H.Miyakado |
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僕の場合、たとえば仕事が詰まりまくって一週間も家を出ることが出来ないみたいな切羽状態になると、なぜか毎時間思い出したようにクルマが欲しくなってしまう。
出発点は買い物でもしてパアッとウサを晴らしたいという小娘みたいな欲求なわけだが、情けないことにクルマ以外に欲しいものというのがそう見当たらない。物欲がないわけではないのだが、何が欲しいのかと考える時に、たとえば時計とかスピーカーとか、ヘトヘトに疲れた頭の奥にある知識を色々とほじくり出してくるのも面倒くさいのだ。
で、最も手っ取り早く欲しいモノを思い浮かべられる、二桁万円以下の中古車かバイクを「よーし買うたろかい」という勢いになってしまうわけである。「おかしいよそれ」と誰かに咎めてもらいたいのだが、引き留めてくれるのはいつも通帳の残高のみ。枯れた現実こそが一番親身な友人というのもかなり淋しい人生だと思う。
今、この時点で欲しいクルマといえばミニだ。旧い方の。'97年型以降のエアバッグが付いた最終年式で、白のメイフェアのオートマだったりすると特に嬉しい。
僕にとってミニというクルマは、クルマ生活の中での実に些細な機会でいつも欲しくなる、常に頭の片隅で気になっている存在だ。イジって走れる手頃なクルマが欲しいなあという時も、ツルシでアシになる小さいクルマが欲しいなあという時も、仕事に疲れてなんかトコトコ走れるクルマが欲しいなあという時も、ミニは必ず選択肢のひとつに入ってくる。
ちなみに今はアシで乗りたい気分──というのも、深夜にテレビでやっていた佐藤琢磨のドキュメント番組で、彼がイギリスでアシにしている赤いミニを見てすっかり影響を受けてしまったからだ。高学歴にして億万長者のF1ドライバーがこんなトタン長屋のように無防備な、壊れたマッサージ椅子のような乗り心地のクルマに日々座っている。
ああカッコよすぎ。よし、僕も真似しよっと。と、それは至って単純な。街中で「柴咲コウがドラマの中で着ていた服です」みたいなPOPの付いたテロテロのワンピースなんかをみると「これ見てこの服買うような姉ちゃんは先に鏡買った方がいいんじゃないのか」と思ったりするものだが、人のことは言えたもんじゃあない。本人は琢磨のつもりかもしれないが、僕+ミニの組み合わせは端から見れば冴えない脱サラのケーキ屋だろう。あるいは実写版マリオカートとか。
ミニというクルマは返す返すも不思議なもので、似合わないとわかっていても欲しくなるオーラを放っている。たとえば大藪晴彦の描く主人公のような鬼まがいにストイックな男にだって、カケラはあるだろう「可愛いじゃん」という心の隙にするりと付け入ってしまう、そんな魔力を備えているのだ。男として全く張り詰めた生活をしていない僕などは、街に停まっている姿を見るだけでそれが捨てられた子犬のように映り、思わずお持ち帰りしたくなってしまう。 |
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