『007/私を愛したスパイ』
'77.ENGLAND

シリーズ10作目の記念作品として、映画ならではのエンターテイメント性を強く打ち出し人気を呼んだ娯楽大作。初期の作品と比較すれば、もはやイアン・フレミングの原作の面影すらないが、子供から大人まで気軽に楽しめる内容なのは確か。何でも噛み切る鋼鉄の歯を持つキャラクター、「ジョーズ」も好評を博した。ボンド役はショーン・コネリー、ジョージ・レーゼンビーの後を受けた3代目、ロジャー・ムーアが務めている。なお、セルソフトはシリーズ最新作『ダイ・アナザー・デイ』リリース時にDVDが再販されたが、現在は残念ながら店頭在庫のみ。発売元は20世紀フォックス・ホームエンターテイメント。
シリーズ全般を通じてクルマの話題には事欠かない、誰でも知っているであろう英国生まれのスパイ映画。
その中でも、今回採り上げる第10作目は荒唐無稽ぶりで他を圧倒している。
そして、それを象徴するのが、陸上だけでなく水中でも活躍するスタイリッシュな本格派スポーツモデル。
だが、こんな姿はベース車を送り出した作り手のイメージにも不思議と合致するのである。

写真=松本高好|T.Matsumoto 文=熊倉重春|S.Kumakura
取材協力=テクニカルショップ・ハッピー TEL:03-3657-2260
http://www.technicalshophappy.com
車両オーナー=切石一朗氏



 007シリーズのおもしろさは、いかに荒唐無稽だろうと照れず恥じずに正面きって物語に仕立ててしまうところにある。そもそも、あらゆる科学技術に精通し、どんな乗り物も抜群のテクニックで操縦でき、射撃も格闘技も凄腕というだけならともかく、美男または美女で、ちょっと見つめるだけで相手が靡いてしまうスパイなど、空想の産物以外あり得ない(と、思いたいではないか)。目立たないことこそ、現実におけるスパイの第一条件だからだ。
『私を愛したスパイ』は007シリーズの第10作。いわば節目の記念映画とあって、荒唐無稽ぶりも絶頂をきわめている。その象徴が、新たなボンド・カーたるロータス・エスプリだ。英国諜報部門の秘密工場を仕切る天才技術者Qは、初代のアストン・マーティン以来どんなクルマにもあらゆる仕掛けを施してきたが、このエスプリに至っては銃やロケットを隠し持つばかりか特殊潜行艇にも変身、タコの墨的な煙幕まで噴出するという凝りよう。真面目に考えれば噴飯モノの子供だましだが、ある意味ではロータス的でもある。こんなのが本当に可能だったら、彼等は本気で作ったかもしれないからだ。
 ロータスの創始者にして戦後イギリス自動車界きっての風雲児として知られたコーリン・チャプマンは、どこまでも夢を追う永遠の青年だった。そんな彼が大きな節目を迎えたのが1970年代の初めだった。周知のように、ロンドン北郊の狭いガレージで青年コーリンが手がけたトライアルカーやレーシングスポーツから始まったロータスは、やがてセヴン、エリート、エランなどのヒット作で多くのファンを獲得する。同時に'60 年代にはジム・クラークやグレアム・ヒルを擁してF1にも覇を唱えるなど、新興勢力としては可能なかぎりの成功を手にしていた。
 しかしチャプマンは、すでに次のステップを視野に入れていた。それまでのロータス市販車は、その基本精神や構造において、あくまでイギリス特有のキットカーの域を出ていなかった。当時は組み立てキットで買えば高額の物品税がかからなかったため、ロータスのみならずロックデールやフェアソープなど、裏庭でこつこつ自作するマニアのための軽量級スポーツカーが数多くあった。
 だが'70 年代を迎えるころ、すでにチャプマンはキットカー・ビジネスに対する興味を失っていた。彼は、今度はスーパーカーを作りたかった。それが実ったのが、'72 年5月のトリノ・ショーで新興イタル・デザインのブースに展示された銀色の異次元走行物体だった。鬼才ジョルジェット・ジウジアーロの手による2シーターのミッドエンジン・クーペは極端なまでに低く、まるで空気の壁の下を潜るような鋭さが光っていた。これが、その後4年の歳月を経て'76 年10月に発売されたロータス・エスプリ最初の姿だった。
 ちなみに、この時ジウジアーロはキウィと命名したがったが、イレブン以来ずっと頭文字をEで通してきたロータス側が反対し、結局チャプマンが一週間もオックスフォード大辞典と格闘したあげく、エスプリの名称が与えられたという。このプロトタイプはロータスにとって初めてのミッドエンジン市販スポーツカー、ヨーロッパのシャシーを切り貼り拡大した中身を持っていたが、その後の生産化も、形としてはその延長線上にあった。すなわち基本構造は大きな箱形断面を持つ鋼板製のバックボーンで、それはコクピットのすぐ後ろで終わり、T字型のバルクヘッドで締め括ってから後方にサブフレームが延び、その間の空間にエンジンが搭載される。この構成をさかのぼると初代エランに行き着く。この場合はFRなので、中心をなすバックボーンの前後をY字型に開き、フロントにエンジンを置いてあった。F1界の常識を根底から覆したタイプ25のモノコックの発想もエランが元だった。
S1は'76年6月から'78年5月までに994台を生産。'78年にはS2が登場、'81年にはS3へと発展する。オイルショックのあおりを受け、エスプリの開発は計画より遅延したが、価格も予定とは大きく異なった。当初は税込み4,500ポンド程度のつもりで、これはフォード・カプリ3000の2倍でアストンV8の半額。ほぼ同時に発売されたジャガーXJ-Sは、8,900ポンド。しかし、その後見込みが狂って5,844ポンドと発表。実際にはさらにコストがかさみ、'76年に発売された時には当初の倍近い8,548ポンドになっていた。
 
Copyright (C) GAKKEN CO., LTD. All Rights Reserved.