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カーライフのなにをもって幸せとするか?
永遠の命題を、奇才・渡辺敏史がユル〜く語りまくる新説自動車幸福論。
今月はあらまほしきワゴンの代名詞、
乗れば誰でもスローカーライフなボルボ240エステートを。
文|渡辺敏史|T.Watanabe 写真|宮門秀行|H.Miyakado |
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どうやらステーションワゴンというカテゴリーはいま、世界的にもかなり冷え込んでいるらしい。
ミニバン的なモノがこれから普及しそうなヨーロッパではまだしも、貨客兼用という用途が完全にSUVにとって代わっているアメリカでは、もはやこのカテゴリーは風前の灯火だという。まあ、ガソリンの価格が高騰し続ければ状況も変わってくるかもしれないが。
個人的には、ステーションワゴンというクルマは嫌いじゃあない。トートバックのようになんでも放り込める使いでのよさがありながら、走ってるぶんにはサルーンにほど近い上質感が味わえる。それ以上のファンクションを求めるとなんか貧しい感じになる、そのギリギリのところにあるのがこのカテゴリーなのだと思う。
が、そんな魅力的な存在であるはずのワゴンの、昨今のモデルを見てもどうも食指が動かない。
それはワゴン選びのどこに力点を置くかによる話だ。たとえばRS6のような爆弾級のバカ力も、156GTAのような股間に突き刺さる官能性も、ワゴンというパッケージには全然必要ないんじゃないか。僕はそう思っている。
第一、そういうものには必ず同じ内容のセダンがあるわけだし、そのお楽しみを荒らすのはあえてセダンを選ぶ男気ある人に対して失礼だ。そのポテンシャルをわざわざワゴンボディにブチ込むのは、酔狂な金持ちがメーカーなりショップなりにダダをこねてこしらえさせればいい話であって。その点、BMWは見識あるなあと思う。
ワゴンの勝負どころといえば、何はともあれ荷室である。実際に積める積めないの問題ではなく、積めそうに見えることが大切だ。そして、積めそうにみせるための最大のポイントはクォーターウインドーの長さにある。少なくともそれが前後ドアのウインドーよりも長いことによって、ワゴンの機能美がはじめて成立する……なんて偉そうにのたまうも、このネタをまだ若造だった頃の僕に吹き込んでくれたのはムーンアイズの菅沼さんだったりするのだが。
ボルボは代々、ベースモデルのセダンをわざわざ6ライトとし、リアドアのサッシュ周りに設計自由度を持たせて、ワゴンのクォーターウインドーを大きく作るという努力を積んでいる。もうほとんど意地。自分ちがワゴン屋だという自負があればこそ費やせるひと手間だろう。
かれこれ半世紀近くステーションワゴン(彼ら的にはエステートだけど)を作り続けているそのボルボが、ワゴン屋の名声を確立したモデルといえばこれである。生産終了から10年余りが経ついまも中古車市場では抜群の人気を誇る240シリーズを、都合のいいことに編集部の川本くんが購入したというので、僕のネタに駆り出させてもらうことにした。
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