朝LAを出て北東にラスベガスをめざすと、ちょっとスピード違反で行っても到着は夜更けになる。漆黒の砂漠の一本道のはるか向こうに、煌々とあらゆるネオンの集積が立ちのぼる不夜城が見えてくると、いかにも背徳と堕落の淵に引きずり込まれそうな気分になるのは本当だ。
酒に身を持ち崩して妻子も職も失い、いっそのこと酔いから醒めぬままに死んでしまおうと思い定めたとすれば、砂漠に孤立する人工の魔境ラスベガスなど理想的な終焉の地かもしれない。ここでは成功も失敗も、勝利も敗北も、そして生も死も自分だけのもの。他人がどうしようと、どうなろうと振り向いてもくれない。
そんな町で死ぬつもりの男と、行きずりの恋を金で売るだけの女が、ひょんなことから惹かれあって――というのは、たぶん酔っぱらいの戯言か手前勝手な夢物語にすぎないが(この映画に感動したり褒めたりする人は多いが、たぶん本当の酒飲みに手を焼いた経験がないのだろう)、まあ、まかり間違えばそういうこともあるのかもしれない。聞くところによると、『リービング・ラスベガス』は実際の出来事を下敷きにしたというから。
それはともかくLAからベガスまで、ウォッカを何本も壜ごとラッパ飲みしながら運転することは、たとえ鉄の肝臓の持ち主でも不可能だ。いかに緩慢な自殺を望んでいるかを強調する表現なのだろうが、クルマにしてみれば迷惑以外の何ものでもない。
ただし、そのクルマがBMW5シリーズであることは、的確なキャスティングといえる。ニコラス・ケイジ扮するベンは、酒浸りを理由に解雇されるまでは、ハリウッドのプロダクションに籍を置く中堅シナリオライターだったから、BMWに乗っていて当然なのだ。あの街では、誰もが普通ではないことを主張したがるが、普通との違い方にも一定の見えない法則がある。極端な大スターなら何に乗っても、彼または彼女が基準だから問題はない。それ以外の周囲にいる者の場合、とりあえずBMWあたりが、普通ではないことの通例(つまり別の意味での普通)とされている。
もっとも、この街で現役として活躍しているからには、クルマ自体も現役であることが条件になる。いくらドイツ車でも旧型では、落伍者あるいは世間の規範に無関心な根無し草と解釈される危険がある。そういう意味ではBMWは一種の制服でもあり、中堅の業界人としては5シリーズを選ぶのが妥当な線といえる。そして、7シリーズなら売れっ子かプロデューサー級ということになるのだろう。
おもしろいことに、ハリウッド・ブールヴァールやロデオ・ドライブなどで見かけるBMW5シリーズ(あるいはメルセデスEクラス)は、ほとんど決まって紺やガンメタなど暗い色が多い。これも一種の不文律なのだろうか。『リービング・ラスベガス』でも、主人公ベンは暗い色の5シリーズでLAに別れを告げている。
ここに登場するBMW5シリーズは、今から数えて先々代のもので、コードナンバーはE34。映画が制作されたのが'95年、E34は'88年から'96年まで生産されたから、ちゃんと劇中でも現役車だった。ちなみに5シリーズの歴史を振り返ってみると、初代(E12)が'72〜'81年、2代目(E28)が'81〜'87年、3代目がこのE34で'88〜'96年、4代目(E39)が'95〜'03年で、昨年デビューした現行タイプがE60という系譜になる。その中でE34は、5シリーズの歴史に大きなエポックを残したモデルとして記憶されている。その一番がデザインだ。それまでの5シリーズはデビューが'81年でも、造形センスは'60年代からのモチーフを背負ったままで、BMWだから許されはしたものの、古さを隠すことができなかった。
それに対して'88年1月のデトロイト・ショーで正式発表されたE34は、完全フラッシュサーフェスのサイドガラスなどを持つ紡錘形の、まるで黒潮を回遊する高速魚のように引き締まったフォルムが新鮮だった。その味はつい昨年、猛禽類の目を持つ最新BMWファッションのE60に生まれ変わるまで、2世代15年間にわたって受け継がれ、その間ちっとも陳腐化しなかった。これがデトロイトで発表されたという事実も、いかにBMW(特に5シリーズ)にとって北米が重要なマーケットであるかを如実に示している。そういえばBMWは、本国でのフランクフルト・ショーを除けば、重要なニューモデルの発表や大きなバリエーションの追加、あるいは華やかなコンセプトカーなどを、ジュネーブかデトロイトで披露することが多い。
そういうわけでベンの泥酔運転に付き合わされる羽目に陥ったBMW5シリーズだが、あえて勝手な想像を加えるなら、これがノーマルではなくM5だったら、さらに主人公の深奥を抉れたのではないだろうか。すべてを忘れるため、醒めるのを恐れて飲み続けるということは、心によほど深い傷を負ったという意味だろう。劇中でも「酒に溺れたから女房が逃げたのか、逃げられたから酒に溺れてるのか、もうわからなくなった」という台詞が出て来るが、冒頭のいくつかのシーンから勘繰るに、その前に「何か」があった可能性もある。それは、おそらく仕事がらみだろう。この主人公は、脚本家としては異能の持ち主で、それなりにプライドも高かったのではなかろうか。それが正当に評価されていないと感じたあげく、酒に逃避したという設定なら納得もしやすい。
そこで、自分をそのように位置付けるなら、同じ5シリーズでも多少のヒネりを入れた選択があり得るようにも思える。たぶん、まともに働いていたときには悪くないギャラを受け取ってもいただろう。それならM5など、どんぴしゃりだ。パワーや性能より、マニュアル・ギアボックスだからだ。
AT全盛のアメリカで、わざわざMT(スティックシフト)に乗るのは「選ばれた少数派」としての自己満足の世界。これは男だけでなく、いわゆるキャリアウーマンにも共通することで、彼女たちの通勤用には意外にMTも多い。自らの意志で何かを行なう人間であることを、ささやかに確認するためともいえる。
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| BMWビッグシックスとしては、このM5用チューンが最後の花道だった。次のM5はV8になり、さらにラグジャリー度を増している。ちなみにM5用直6が3.5リッターから3.8リッターに排気量を拡大した理由は(実際には'91〜'93年にかけて3.5と3.8はダブって生産されている)、ライバルである500Eが326psを叩き出し、「半身内」のはずのアルピナもB10ビターボを開発、Mの牙城に揺さぶりをかけたからだ。 |
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| 一見したときの眺めはノーマルとさほど変わらないが、5シリーズの中で最も高性能、かつエクスクルーシブなモデルということで装備は充実している。5MTのシフトノブは、透過式のイルミネーション付き。撮影車は、ワンオーナーのインポートカーをメインに扱うカー・ギャラリー・ブリッジに入庫した'93年式の3.8リッターユニット搭載車。この時代のM5としては珍しいフルオリジナルの個体だ。走行距離は約66,000kmで、価格は2.499,000円。 |
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